脳梗塞の経緯④ ~急性期リハビリから回復期リハビリへ~

発症時の経緯

こんにちは、さくらです。

当サイトに来ていただいてありがとうございます。

最近は温かくなったり寒くなったり、本当に気分も上下してしまいますね。

投稿が開いてしまいましたが、脳梗塞発症の経緯の続きを書きたいと思います。

今回は、急性期リハビリから回復期リハビリへの転院までのお話です。

このお話しもまだまだ私は夢の中だったので、夫の監修が続きます(笑)

前回のお話しはこちらです↓

それでは

ICUから戻ってきました

一週間のICUから様態が安定したので、一般病棟に移れると言われました。

また、一般病棟に戻ってきましたが、私はまだまだ脳へのダメージと体のだるさと、現実が受け入れられないため、夢の中でした。

意識はぼんやりしていても寝たきりで過ごすと、そのまま筋肉が弱り全く動けなくなってしまうため、

寝たきりの状態にならないようにちょっとづつリハビリを行っていきます。

この時期を『急性期リハビリ』と言います。

急性期リハビリ

急性期リハビリで私が行った内容はこんな感じです。

  • 寝返り
  • 体を持ち上げる
  • 水を飲む
  • 噛む
  • 飲み込む
  • トイレに行く意思表示
  • 返事をする
  • 声を出す
  • 平行棒につかまって歩いてみる

いや、もうほんとに何もできなかったらしいです。

夫からしたら、もう二度と子供の名前が呼べないのではないか、もう二度と家には帰れないのではないか、と絶望していたそうです。

脳梗塞については、やはり脳へのダメージが大きかったためそこからすぐに体が変化に耐えられるかの様子見が必要でした。

それに伴い私は、肺塞栓症も同時期発症していましたので、出血をしないように細心の注意が必要でした。

ケガして出血をした場合、またICUへの逆戻りでしたので。

この時は、息子と夫は毎日夜の7時から9時まで一緒にいてくれました。

そこから家に帰ってお風呂とご飯を食べて、夫は朝起きて子供の朝ご飯を作り、見送った後会社に行っていたようです。

夕方になって子供が家にいたら、すぐに車に乗せて病院に行き、私と面談。

というハードスケジュールを繰り返していました。

たまに、会社を2時間抜け出して昼間会いに来てくれたりもしました。

今考えるとよくできたなぁと思います。

意識の覚醒はまだまだ

急性期リハビリが始まって1週間くらいしたとき(入院3週目)

この時には、看護婦さんの手伝いの元車いすに乗って、ロビーまで行けたのですが、

片腕が動かなかったり、言葉がしゃべれないことが受け入れられず

『あれー?まだこの夢覚めないなー?』

とかをぼんやり考えていました。

急性期リハビリから回復期リハビリへの転院の話し

入院3週目くらいから、回復期リハビリへの転院の準備が始まっていたそうです。

そこら辺の話は、全部夫がやっていました。

その当時は2種類の選択肢があり、

  1. 家から近く自転車で行くことができるが、施設は少し古く設備劣る
  2. 家から遠く車で20分くらいかかるが、施設は新しく最新の設備が整う

でした。

毎日の面談を考えると1ですが、リハビリの回復量を考えると2となります。

夫が選んだほうは、少しでも回復をしてもらい退院したあとの体の動きを多くできるように2を選択したそうです。

選んだ要因はそれだけではなく、

  • 日用品は病院が用意する
  • リハビリ中は面談ができない
  • 先生が若い
  • 病院が広く、同年代で同様の症状になりリハビリを受けている人がいる可能性がある

このような点があったようです。

当時はすぐに転院はできず、2週間から1か月くらい待つかもしれない、と言われかなりもどかしかったそうです。

私の肺塞栓症の経過の安定がしていなかったため、2週間がちょうどよかったのかもしれませんが、

少しでも早く回復期のリハビリを受けてほしかったようです。

回復期リハビリ?

回復期リハビリについてですが、

リハビリの流れは

急性期→回復期→生活期→終末期の4段階に分かれています。

急性期…寝たきりにならない筋肉のこわばり、減少を抑える(一日30分程度・1か月間)

回復期…体の機能の回復を目的、日常生活を取り戻すため(一日2時間程度・半年)

生活期…日々の日常にて行っていくリハビリ(いくらでも 現状維持 永遠)

終末期…日常生活が送れない方のリハビリ

さくらも回復期から生活期に移れなかった場合は、終末期になる可能性はありました。

回復期のリハビリ内容は、

  • 言語→言葉を忘れたけどしゃべれるようにする
  • 理学→マヒがあっても歩けるようにする
  • 作業→マヒがあっても日常生活を送れるようにする

ざっくりこのような内容です。

これをみっちり、ライザップもびっくりなトレーニングメニューを組まれて毎日タイムスケジュール通りに行っていきます。

空いた時間は自主練と宿題があります(笑)

回復期へ転院と意識の覚醒

発症から1か月半、回復期リハビリステーションへの転院となりました。

その間に、家族と一緒に病院の外へ散歩したりしました。

4月の半ばでもうさくらも散っていました。

このあたりくらいで、やっと

『あれ?夢じゃないかも?』

『見てた朝ドラが終わっている』

とか、いろいろ気が付き始めました。

さくらの思う事

急性期リハビリでの出来事を、まとめてみました。

息子には本当に悪いことをしたな、と思いました。

毎日来てくれた息子と夫には感謝しかありません。

子供の成長が見れないのは今となっては本当につらいです。

皆さんも、自分の身体の健康に気を付けて、大切な人との時間を少しでも長く楽しく過ごしてください。

次回は、回復期リハビリステーションでの出来事を書きたいと思います。

読んでいただきありがとうございます。

今日はここまで、さくら。

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